蓮の開花時期の多くは7月から8月にかけてで、当山弁天堂のある不忍池の蓮もちょうど今時分、見頃を迎えていて、その光景はさながらお経典の極楽浄土を連想させます。
さてこの蓮という植物、仏教ではとても大切にされており、例えばお仏像の台座には開花した蓮を模した蓮華台座がよく用いられ、また観音さまをはじめとした菩薩の持物には蓮のつぼみが多くみられます。
これらは蓮の生態に由来していて、根は泥中にありながら天に向けて真っ直ぐに茎を伸ばし、先端に鮮やかで美しい花を咲かせます。
これを仏教では、泥中(煩悩の多い環境の比喩)に在っても泥に染まらず(周りに流されず)、まるで一心に悟りを目指した果てに仏性が開花するようであるとしており、蓮は清浄さの象徴として大切にされているのです。
仏教では、わたしたち人間をはじめとした全ての命には「仏性(ぶっしょう)」という仏さまになる種(=悟りを開く可能性)が宿っていると説かれています。しかしその仏性は日頃、煩悩によって開花が妨げられており、修行や善行によって煩悩を克服することで悟りに近づくのです。
ちなみに完全な悟りを得た方を「(真理に)目覚めた人=覚者(かくしゃ)」と言い、インドではそれを「ブッダ(buddha)」と呼びます。ブッダが中国で音写された後に日本に伝わり、ほとけさまという呼び名へと変わっていくのです。
よって「成仏(じょうぶつ)」とは読んで字の如く¨ほとけさま¨に成る事であり、亡くなった方だけでなく、生きている私たちも生前に目指すべき目標なのです。そして世間の浄不浄はそこに住む者の心の在り様で変化するため、全ての心が清浄ならば、この世が浄仏国土(=浄土)となるのです。
なんだか壮大な話になってしまいました。とりあえずと言っては何ですが、先ずは蓮を見たらその日は「ほとけごころ」を出す日として、怒りを忘れて人にやさしく接し、心の清浄を保つよう努めてみてはいかがでしょうか。
8月のおはなし ~蓮華の如く~