11月のおはなし ~サスティナブルな仏道~

先日、寛永寺の最寄り駅である鶯谷駅南口にカフェがオープンしたので行ってきましたところ、サスティナブルカフェと書いてありました。
そういえば最近、この『サスティナブル』という言葉をよく見聞きするなと思い、しかし意味が分からなかったので検索してみると¨持続可能な¨という意味で、地球環境を破壊することなく資源を維持できることを目指して使われだした言葉のようです。なるほど確かにストローが紙製です。

要は以前から使っている『エコ』と同じようなものかなと思い、なんでも新しい言葉や横文字を使えば良いってものでもないだろうにと、今年に入り頻繁に耳にするようになったエビデンス(科学的根拠)のことも思い出しつつ、もっと分かりやすい言い回しにできないものかと釈然としない気持ちでいました。

しかしこの話を家人にしたところ、貴方の話も似たようなところがあるとバッサリ!どうやら趣味の話をする際に専門用語が多すぎて分からんとの事でした。
省みれば釈尊は対機説法という、相手の資質に合わせて比喩などを駆使し、理解しやすいように仏法を説いたと言われていますが、私は相手に伝わっているかどうかを気にせず、自分がしたい話をただ言っていただけだったようです。

仏道修行で大切なことは何でしょう?という質問に
「正信を護持し八正道を精進すれば皆悟成就すべし」と答えても理解できる方はそう多くないと思いますし、むしろこれが理解できる方であれば上記のような質問はせず、自己解決できるでしょう。さてこれを言いかえて
「正しく仏法を信じ、正しい修行を怠ることなく続ければ誰もが悟りを開くことができるのですよ」とすればグッと理解しやすくなったことかと存じます。そういえば精進という言葉には、ひたすらに仏道修行に励むという意味があり、継続・持続することが含まれていますので、精進もサスティナブルでなければならぬと捉えればこの言葉もなんだか身近に感じてきますね。

何事も表面的でなく、その本質を見極める。話をするときは相手をよく見て、独り善がりにならぬよう留意する。思わぬことから気付かせてもらえました。

令和二年の十五夜お月さまとスカイツリー

東叡山寛永寺 教化部